飯能アルプスでごろんごろん
私のトレラン師匠と仰ぐSTさんと奥武蔵の飯能アルプスへ走りにいく。来月控える奥武蔵ロングトレイルの試走だろうか、飯能駅もトレイルも、トレイルランナーが多かった。当初は飯能駅から子の権現まで走り(約20k)、調子を見て距離を延ばす予定だったが、大高山を過ぎた辺りで早々に大ゴケする。
転がった言うのが適切な表現だろう。足が木の根に引っ掛かり、身体が左に回転して斜面をごろんごろんと転がった。意識的にはスローモーションだったが、自分が転がる音が聞こえるような気がした。左太腿を強打する。左腕をすりむき血が滲む。前坂までなんとか進むが、踏み込む時の痛みに堪え切れず下山を決意。
何度も山に入っているが、意外にも途中で撤退するのはこれが初めてのことだ。勇気ある撤退というようなものではもちろんない。年を重ねて、せっかく来たのにとか、なんて日だ、とかいう感情も特に沸かない。まあ、こういう日もあるよなと思う。ST師匠も同じようだ。
思いがけず早まった吾野駅からの帰りの電車がとても心地よい。まだお昼を少しばかり過ぎたぐらいの時間帯。車窓から目に飛び込む新緑が美しく、開け離れた窓から風が心地よい。向かいに座るおばさんの視線以外は。たまたま近くに乗り合わせた数名のトレイルランナー。我々はそれほど汗をかいていないが、とは言え前日しっかり降った雨でサーフィスは泥々の箇所も多かった。終始、汗の臭いと泥のついたシューズが気になる素振り。
なぜコケたか。前を走る師匠と話が盛り上がっていて、斜面への注意が明らかに散漫になっていたのだ。木の根が露出する急な下りに差し掛かっていたのに、見ていたのは師匠の足捌きだった。
告白すると、前回書いたハセツネ30kでも大ゴケしたが、その時も、前を走っていた女性の美しい脚に見惚れていたからだ(この時は脚捌きではなく、脚そのものに)。絶叫したあの女性。私と同じフーディニのショートパンツを履いていたあの女性。
山は一人では行ってはいけないとよく言われる。複数だと、道迷いそうになった時に相談出来たり、食料をシェア出来たり、万が一怪我をした時に助け合ったり出来る。つまり、複数で山に入った方がリスクを減らせるという考え方だ。
しかし、人と走ると、師匠の興味深い話に気を取られ、素敵な女性の魅力に心奪われ、足元が覚束なくなる。師匠や女性の前を走ればいいかというと、結局話や人の「魅力」に意識は引っ張られ、足元が覚束なくなるのは同じだろう。思い返すと、私は一人で走りに行き大ゴケしたり、怪我をしたことがない。躓いたりはするが、大抵転ぶところまでいかず、リカバリーする。不思議だ。思うに、一人だと怪我もできないし、注意力が行き届いているのだろうと思う。
ハセツネでも飯能でも最近コケまくりだが、50も近いいい大人が、かけっこをして大ゴケして、体がごろんごろん回転することなどそうそうないのではないか。私は、コケると、なにか少年の時を思い出すような懐かしい気持になる。子供の時に友達と鬼ごっこをしていて、転んで、膝を擦り剥くような感覚。それが40後半になってまた出来る喜び(もちろん走れなくなるような大怪我は困るが)。確かトモさんが仰っていた。トレランに出会った時点であなたの人生はかなりラッキーだと。私はそれをコケた時にそれをより強く感じる。
2025年ハセツネ30K出走記
先月末のハセツネ30Kに出た。2年連続の完走。タイムは5時間半ほど。去年より30分近く早くなった。が、順位が激しく落ち、去年は取れた10月のハセツネカップの優先エントリー枠が取れないという結果。
男子は上田瑠偉選手が尋常じゃないタイムで優勝(2時間51分)。上田選手がレースを引っ張り過ぎて全体的にタイムが上がり、私のような平凡ランナーにも影響が出たのではというのが私の想像(というか妄想)。とは言え去年よりタイムが上がったので個人的には大満足。40歳後半の私はとっくに人生を折り返しているのだから。
途中で声掛けをしていたスタッフの方が「今年はベストコンディションですよー!」と声掛けをされていた。確かに去年に比べ気温が低くいいコンディションだったとは言え、きついのは相変わらずのハセツネ30K。前日降ったと思われる雪が残る路面もあり、途中みぞれが降った。
レース一週間前の試走時は気温が26度ぐらいまで上がり、携行した水分が足りず、本番で一体何リットル背負うのか不安になったほど。レース当日は13度ぐらいで、2リットルで十分だった。この気温は水分量だけでなく、花粉症という意味でも助かった。
試走の時は気温もあり杉が花粉を大放出しており、少しでも花粉対策をと思ってバフで鼻を覆って走ったが、呼吸の苦しさとこもる熱でとても付けて走り続けられない。外すと止まらないくしゃみと涙で、修行度合いが激しく上がる。普段より多めの自問。私は今、ここで、一体何をしているのだろう。
昨年同様、前半は抑え、後半は頑張るレース計画(レースを通じて力を注ぐ走力がないだけだが)。具体的には、ヨメトリ坂まで自重。ヨメトリ坂の下りで周りのランナーの流れに乗る。沢を渡ったら林道は止まらず走る。登り返しは頑張って早歩き。市道山の稜線に出たら(最後のロードでも脚が残る程度に)しっかり走る(とは言え数回やってくる激しい登りは走れないが)。
目標タイムである5時間半に近いタイムでフィニッシュ出来たのは上出来と言うほかない。自分なりにイメージ通りのレース展開。あと5Kぐらいの下りで激しく転倒した以外は。
唐突に転倒した。周りのすべてがスローモーションになり、前方に激しく身体が投げ出された。反射的に出た両腕で前方への受け身の姿勢を取った。おかげで顔は地面に打ち付けられなかったが、気が付くと目と鼻の先にごつごつとした岩がその突起を見せつけていた。右脚が崖に投げ出され、転倒で意識が呆然とし自分で脚を引き上げれない。後続の方が引っ張り上げてくれる。あやうく滑落しそうだった。ありがとうございますとしどろもどろに伝える。右腕が痛み出し、見ると血が滲んでいた。岩に激突したのだ。深呼吸して水を飲む。体の具合に耳を澄ませる。まだ走れそうだ。
あまりの倒れ方だったのか、倒れた際、すぐ前を走っていた女性がギャー!と大きな悲鳴を上げた。止まってはくれなかったけど。でも、私が彼女の立場だったら止まって声ぐらい掛けただろうかという考えがふと浮かぶ。
これまでいくつかのレースに出たが、前後のランナーが転んだりしても、「大丈夫ですか」と声は掛けても、明らかに私、声掛けましたよというエクスキューズだったのではないか。一体私は何を目指して、何を求めて、レースに出るのか。ここまで自分なりに力を振り絞ってにゴールを目指してきていたが、妙に覚めた気持ちのままゴールテープを切った。
高尾トレイルの橙色
高尾山口駅で下車するほとんどの人が向かう流れとは逆に、甲州街道をやや北上、西浅川の交差点を左に折れ、いわゆる裏高尾と呼ばれるエリアに向かう。本格的なトレイルの入り口にある神明神社でこれから山をお借りすることの挨拶と安全を祈願して一礼。
地蔵ピーク、富士見台、狐塚峠、堂所山へ。そこから景信山へ南下し、城山を越え、大垂水峠から更に南東へ進み南高尾と言われるエリアへ。いくつかの小ピークを越え、三沢峠から草戸山を経て北上、スタート地点の高尾山口駅を目指すこの周回トレイルは、近所の図書館で借りたトレランコースのガイドブックで興味を持ち、自分の中では定番コースとなった。
ガイドブックには確か四辻で駅方向に下山するとトータル30kとあったはずだが、どうも距離が足りない。毎回四辻を通り過ぎ、高尾駅近くまで尾根道を繋ぎ、甲州街道を南下してなんとか30kに届かせるのがいつものパターン。辻褄合わせの最後の2kほどのロードが地味だがきつい。30k目指してはるばるやってきて、30kに届かないのは気持ちが悪いのだ。
ある時ぼんやりしていて三沢峠から草戸山方面に向かうはずがうっかり高尾クリーンセンターの方に降りてしまった。広くて走りやすい道を降りはじめてほどなくして、どうも林道に入ってしまったことに気づく。登り返す気力もあまりない。地図をにらむとちょっと先だが、草戸峠に登りかえし稜線に復活できる道があることに気づく。
意識が地図から周囲に戻ると、鳥の美しいさえずりが耳に飛び込んできた。津久井湖や城山湖周辺は運がよければサンコウチョウが見れるような鳥見環境だと聞いていた。そういえばトレイルが南高尾に入ると伸びやかに歌声を響かせる鳥の影が濃い。
ほどなくして年配のご婦人が一人、ゆったりと林道の下から登ってくる。今日何度目か、靴紐を結び直すためにしゃがんだ頭上で伸びのある美しい鳥の鳴き声が森に響き渡った。ヒタキだろうか。立ち上がり上を見上げる。それほど時間がかからずにキビタキを視認。展葉がまだそこまでではなかったため、橙色の小さな身体を震わせ一所懸命囀る美しい姿に見惚れる。近づいたご婦人にあそこですよと伝える。
どこですか、ああ、あそこ。まあっ
キビタキですね。
はーっ
感嘆が漏れる。実際にキビタキを見たのは初めてだったのだろうか。上を見上げ続けるその方を置いて再び下り始める。少しして振り返ると視線はまだ高い木の枝にあった。
稜線に戻る登り坂を息を切らせ登る。今日も数えきれないぐらい登っては下ってきた。あとはとりあえず四辻を目指して北上。体力は限界に近いがもう後半戦だという安堵感もある。しかし手強い登りがまだ幾つか残っていたはず。
何度かのアップダウンを息も絶え絶え超えて、目の前に壁のような登りが立ちはだかる。壁とは大袈裟だが、ここまで20数キロ走ってきて、つま先は痛み、喉は渇き、太腿が悲鳴をあげている今、この壁に挑むのか巻くのか一瞬怯む。
巻くことに一体何の意味があるのか。遠路はるばる時間を掛けてやってきて、わざわざこの苦しい周回トレイルを走っているのは、苦しいを楽しむためにやってきたのだ。という模範解答が脳内でかろうじて多数決を獲得し、意を決して木の根が生き物のように蔓延った登りづらい坂道にへばりつき、重たいを身体を一歩一歩引き上げていく。
恨めしい地面からふと目線を上に上げると、斜面の中腹の、根っこの階段に腰を掛けて汗を拭う外国人の男性が目に止まった。中腹のトレイルにこの人もまた根を張るように腰を落ち着けている。当分立つ気力もないですよと目が言っていた。
悲痛な面持ちで登ってくる自分と目が合う。男性はトレイルの通りを邪魔して悪いと思ったのか、近づく私に微笑みを投げかける。おじさんをよけつつ通り過ぎようとした時、おじさんは地面に置いたリュックからサッとオレンジを取り出し、手際よく半分に割って皮を剥き私に無言で手渡した。同じトレイル上で踏ん張る私に後は託したよとでも言いたげだ。
ありがとう、サンキュー。
疲労で言葉が口がうまく回らない。立ち止まってしっかり挨拶を交わすべきだろう。完走の想いを託された私は今は止まるべきではないと思い、エリートランナーさながらに右手でオレンジを握りしめながら登り続ける。ようやく斜面を登り切って、オレンジを無造作に口に頬張った。
右手がほんのり橙色に染まった。私は残りのトレイルを時々手に残った瑞々しい香りを嗅いで走り切った。

手ぬぐい百名山 八ヶ岳(赤岳)
やっと探し当てた写真には日付が2010年8月5日とある。自分の意思で本格的に山登りを始め最初に登った山、そして初めて山手ぬぐいを買ったのが八ヶ岳の赤岳山行だった。
手ぬぐいの本来の使い方を考えれば手洗いすべきところだろうが、自分はどの手ぬぐいも日常的に洗濯機で洗い天日干し、どんどん使い込むのでこんな風合いになる。この変化も手ぬぐいの魅力だと思っている。
中央の日焼けは日干しの癖で、よく見ると繊維も薄くなり今にも破れそうだ。色合いも確かもっと濃い抹茶色だった記憶があるが、よく思い出せない。しかし今のこの色合いも好きだ。最初に購入したもので、使用歴も最も長く、使い込んだ跡が閉じ込められている。
山手ぬぐいとしても記念すべき第一号だが、一人で、山小屋(赤岳展望荘。風呂があることに衝撃を受ける)を利用し、縦走めいた山行をしたのもこれが初めてだったはずだ。縦走と言っても歩いたのは赤岳、中岳、阿弥陀岳だけだったが。
手ぬぐいを買ったのは確か赤岳頂上山荘だった(山荘のホームページを検索したらまだ同じものが販売されていた。今は紺色のみなのだろうか)。
初めての一人山行はほろ苦く、下山中に当時履いていたNike ACGの登山靴の右足のソールが見事にぱっくりと土踏まずぐらいのところまで剥がれ、なんとか行者小屋に辿り着き、事情を話すと親切な山小屋のお姉さんがダクトテープをくれ、それをぐるぐる巻いて下った。
当時は山の脚力と言うべきものが全くなく、美濃戸口に向かってボロボロの脚をひきづる様に降りている時、柳川南沢付近で、ノースフェースのピンクのハットを被った山ガール風のお洒落な女性に風のように抜き去られ、ままならない体力と歩き辛い登山靴も相まって、心で泣いた。
これ以上酷使すると破れそうで、今はほとんど出番のないこの手ぬぐいだが、手に取るといつも、地蔵尾根のきつい登りと、その先に広がる抜けるような青空、突き刺す日差し、寒さに震えながら飽きずに見続けた夕暮れ、山歩ききの厳しさと自由さ、そして下山後のこれまで続いてきた日常、ありとあらゆる事柄を呼び覚ましてくれる、不思議で愛すべき手ぬぐいだ。



レイウェイ自作バックパック2作目
山好きで道具好き、人と同じものではどうも満足できない性向の方なら一度は目や耳にしたこと、もしかして作ったことがある方もいると思うが、レイウェイのバックバックキットと同じ型で2作目の個人プロジェクトを進行中。
数年前に作った1作目は、当然ながら英語の組み立て説明書を何度も読み込み、DVDの助けを借り、夏の縦走出発前の前日に(!)なんとか完成。今回はどうしてもより自分なりのカスタマイズを盛り込みたく、ああだこうだと悩みながら作っているが、既に開始から半年以上が経過。
要は技術が足りないのだ。遠回りが多い。じれったく、面倒臭いと思うことも多い。しかし、急ぐ必要も、焦る理由も、考えれば全くない。個人のプロジェクトは、自分で決めれる楽しさと自由がある。往々して面倒臭い作業に、人生の、日々を楽しむヒントが隠れている。



眺めているだけでも楽しい、Ray-Wayのページ。バックパックキットはもちろん、How to Videoなども揃っている。
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