山好記

登山やトレランやバックカントリー(や時々鳥見)にまつわる諸々をゆるく記すブログです。

高尾トレイルの橙色

高尾山口駅で下車するほとんどの人が向かう流れとは逆に、甲州街道をやや北上、西浅川の交差点を左に折れ、いわゆる裏高尾と呼ばれるエリアに向かう。本格的なトレイルの入り口にある神明神社でこれから山をお借りすることの挨拶と安全を祈願して一礼。

地蔵ピーク、富士見台、狐塚峠、堂所山へ。そこから景信山へ南下し、城山を越え、大垂水峠から更に南東へ進み南高尾と言われるエリアへ。いくつかの小ピークを越え、三沢峠から草戸山を経て北上、スタート地点の高尾山口駅を目指すこの周回トレイルは、近所の図書館で借りたトレランコースのガイドブックで興味を持ち、自分の中では定番コースとなった。

ガイドブックには確か四辻で駅方向に下山するとトータル30kとあったはずだが、どうも距離が足りない。毎回四辻を通り過ぎ、高尾駅近くまで尾根道を繋ぎ、甲州街道を南下してなんとか30kに届かせるのがいつものパターン。辻褄合わせの最後の2kほどのロードが地味だがきつい。30k目指してはるばるやってきて、30kに届かないのは気持ちが悪いのだ。

ある時ぼんやりしていて三沢峠から草戸山方面に向かうはずがうっかり高尾クリーンセンターの方に降りてしまった。広くて走りやすい道を降りはじめてほどなくして、どうも林道に入ってしまったことに気づく。登り返す気力もあまりない。地図をにらむとちょっと先だが、草戸峠に登りかえし稜線に復活できる道があることに気づく。

意識が地図から周囲に戻ると、鳥の美しいさえずりが耳に飛び込んできた。津久井湖城山湖周辺は運がよければサンコウチョウが見れるような鳥見環境だと聞いていた。そういえばトレイルが南高尾に入ると伸びやかに歌声を響かせる鳥の影が濃い。

ほどなくして年配のご婦人が一人、ゆったりと林道の下から登ってくる。今日何度目か、靴紐を結び直すためにしゃがんだ頭上で伸びのある美しい鳥の鳴き声が森に響き渡った。ヒタキだろうか。立ち上がり上を見上げる。それほど時間がかからずにキビタキを視認。展葉がまだそこまでではなかったため、橙色の小さな身体を震わせ一所懸命囀る美しい姿に見惚れる。近づいたご婦人にあそこですよと伝える。

どこですか、ああ、あそこ。まあっ

キビタキですね。

はーっ

感嘆が漏れる。実際にキビタキを見たのは初めてだったのだろうか。上を見上げ続けるその方を置いて再び下り始める。少しして振り返ると視線はまだ高い木の枝にあった。

稜線に戻る登り坂を息を切らせ登る。今日も数えきれないぐらい登っては下ってきた。あとはとりあえず四辻を目指して北上。体力は限界に近いがもう後半戦だという安堵感もある。しかし手強い登りがまだ幾つか残っていたはず。

何度かのアップダウンを息も絶え絶え超えて、目の前に壁のような登りが立ちはだかる。壁とは大袈裟だが、ここまで20数キロ走ってきて、つま先は痛み、喉は渇き、太腿が悲鳴をあげている今、この壁に挑むのか巻くのか一瞬怯む。

巻くことに一体何の意味があるのか。遠路はるばる時間を掛けてやってきて、わざわざこの苦しい周回トレイルを走っているのは、苦しいを楽しむためにやってきたのだ。という模範解答が脳内でかろうじて多数決を獲得し、意を決して木の根が生き物のように蔓延った登りづらい坂道にへばりつき、重たいを身体を一歩一歩引き上げていく。

恨めしい地面からふと目線を上に上げると、斜面の中腹の、根っこの階段に腰を掛けて汗を拭う外国人の男性が目に止まった。中腹のトレイルにこの人もまた根を張るように腰を落ち着けている。当分立つ気力もないですよと目が言っていた。

悲痛な面持ちで登ってくる自分と目が合う。男性はトレイルの通りを邪魔して悪いと思ったのか、近づく私に微笑みを投げかける。おじさんをよけつつ通り過ぎようとした時、おじさんは地面に置いたリュックからサッとオレンジを取り出し、手際よく半分に割って皮を剥き私に無言で手渡した。同じトレイル上で踏ん張る私に後は託したよとでも言いたげだ。

ありがとう、サンキュー。

疲労で言葉が口がうまく回らない。立ち止まってしっかり挨拶を交わすべきだろう。完走の想いを託された私は今は止まるべきではないと思い、エリートランナーさながらに右手でオレンジを握りしめながら登り続ける。ようやく斜面を登り切って、オレンジを無造作に口に頬張った。

右手がほんのり橙色に染まった。私は残りのトレイルを時々手に残った瑞々しい香りを嗅いで走り切った。